愛と分担習慣

写真は特に、今日の内容と関係ない。使いたいのだけど、使うポイントがなくて、さみしいからここで使ってみた。

「お湯」を提案され気に入ってからかれこれ日が経つのに…いまだにスムーズにいかないw…お湯を沸かしたまま忘れてしまうのだ。

同じような感じで人生を通してうまく馴染まないのは掃除機。あれと同じだな…俺がアレルギーがひどかったから、母がマメに掃除機かけてたのを思いだす…俺は早々に家を出たからそういう分担習慣から離脱しやすかった。

最近、親父は親子としてではなく、一人間として俺と話すようになった・・もともとそんなに会話はないのだが。そうなると親父の知らなかった一面を知る。そして親父も同じ人間だったと知る。特に母を選んだ理由が秀逸だった。実に親父らしい理由だ。

母は世界的なハープ奏者だった。つまりは音楽家。親父の想定からいくと、一流の音楽家というのは、特にクラシックの音楽家というのは「感覚感性が豊かでありながらも、繰り返しに耐えることができ、緊張下でもなにかを成し遂げる尋常でない責任感と忍耐力を持つ」と。その才能を自分に使ってもらえたら、というのが親父の狙いで、何人かいた候補の中から、母を選んだ。

で、その世界的才能と責任感と忍耐力を、親父はこともあろうに「これで俺は死ぬまでメシに困ることはない。汚い部屋に住む必要もなくなる。あの頃の俺は企画が何一つ採用されず腐っていた。だから酒を浴びクダをまき、ゴミ屋敷のような部屋に住んでいた。そして心が折れそうになっていた。」

「つまりあきらめそうになっていた。でもあきらめたら終わりなのを知っていた。メシと家があれば俺は何度でも立ち上がれる。いつか結果を出せる。」実に親父らしい。そして驚いたことに母はいつも「私は最初からメシ炊きババァ」と云っていた。俺はそんなことないよ、と思っていたが、まさかホントだったw

聞くと、親父の思惑と反して、母はハープを続け、親父の願いは、母の母、祖母が叶えていたという。親父いわく、そこまで計算済みとのこと。母と出逢ってから、ずっと会社→母の実家→そのままソファで寝る、という半居候生活をしていたそうな。

思えば母が入院したときに家事が何もできず、あたふたしていた父。当時、受験勉強中だった俺のために電子レンジでできる「ほうれん草のおひたし」をつくってくれた。母からいろいろ聞いてきたのだろうが、それしかできなかったらしい。それを誉められたのが嬉しかったのか、それから3、4回はつくってくれた。それをいまだにあの時は!と恩ぎせがましくいってくる。

そんな家事ひとつできない酒びたりで腐っていた若者が、日本の某国営放送の頂点まであと一歩のところまで出世した。母と祖母が仕事にだけ集中させてくれたからと親父は云いたのだろう。お前は器用だから、なんでも自分でできる。それがお前がいまひとつ突き抜けられない理由だ!と。器用貧乏。

でもそれだけ優しい。それは失って欲しくないし難しいところだ・・そんなやりとりが半年前にあって、たしかにと思った。俺は自分のやりたいことに没頭していて、それに関係のない人や事柄はすべて後回しだった。いまでもそうだ。そもそも人間関係の構築がうまくいったことがないから孤独の方が楽・・嫌われ者の役回りも逆に俺の得意技w

それでも俺を支えてくれる人が現れてくれる、、でもどこか申し訳なくて、依存しきれない自分がいたのだと思う。思えばもっと依存すればよかったな、と。その親父とのやり取りがあったからだろうか、その直後にはからずもその「集中できる環境」を人生ではじめて手に入れることとなる。

ムスコ…実際には意外と歳も近く、ムスコではないのだけども、なんだか初対面から他人な気がしないムスコが「文無し家なき子」の俺に無償で部屋を提供してくれた。ムスコが経営する塾の講師の寮となっている大きな一軒家の一部屋。そしていろいろな動機はあれど、食事と身の回りを世話してくれる人も。

家とメシと仕事。はじめて三拍子揃ってしまった。いつもならついつい受け入れず、すぐに旅立つのが、親父との一件があったので素直に受け入れてみた。そしてあらためて親父のプロデュース能力の高さに感嘆した。親父が活きるための母の起用。そしてその役割分担は完璧だったのだな、と。

それはいうなれば「分担習慣」だ。親父をほうれん草のおひたしひとつで感動できるくらい「仕事に関連すること以外何もさせなかった」のだ。そういえば、親父がドライブとか連れて行ってくれるときはいま思えば実はロケハンとかだったし、旅も仕事の成果を俺に魅せたいときだけだったな。それ意外はホントめんどくさそうだったw・・ホント徹底してる。

最近は親子ではなく一人間として接してくれるがゆえ、はじめて一回だけ親父が行く呑み屋に一緒にいった。そしたらそこには俺の知らない社交的な親父がいた。家はホント充電器だったのだなぁ。

「世界レベルの音楽な芸術を突き詰めるチカラを取りこんで、日本の頂点にもたてなかったわけだ」と云ったら・・

「それがあったから俺みたいなヤツがそこまでいけたんだ、バカ」と。そして「俺は最初から自分の限界を誰よりも知ってたんだよ。」と続ける。どうやって母を取り込んだのか…と聞きそうになってやめたw

ムスコが与えてくれた家は、常にそこに在るがゆえイヤがおうにも俺を侵食する。ムスコとの間に分担習慣が生まれてしまった。いままでの俺ならなにも返せない関係は受け付けなかった。すぐ旅立つ。

家賃もなし、それに代わるものもムスコはなにひとつ要求してこない。とにかくオヤジが生きてくれさえすればそれでいいと。それが「生き」なのか「活き」なのかによって大きく異なるがw

この半年の間に40日間にも及ぶ、依存ツアー・・文無し家なき子行脚もしてみた。ほとんど誰も見返りを求めてこない。

酒びたりでボロボロ、、安月給、、名家だった母は、当時の親父からはなにも得るものはなかったろう…これを愛と呼ぶのだろう。

「ただただ生きてくれていたらそれでいい」見返りなど求めない。それが才能への愛なのか、人物への愛なのか。俺はたくさんの愛を育むことなく捨ててしまっていた。それが俺がイマイチ突き抜けきれていない原因と知る。親父、一揃い依存してみたが、繰り返しに耐えうるのはムスコの家だけだったよw

長々と書いたが、なにが云いたいのかというと、いま潜伏しているところから旅立てずに困っているということ。昨日も、うちの代表が来たのだが、同居している塾講師(20代)が彼女を連れてきていたので、ニセ家族物語を展開してしまった。それがなんかいい感じだったw・・ちなみに代表はカナダ人の御主人がいて俺の伴侶たりえない。

これから世界を廻らないといけない。その前に「充電器」を…とは思っている。世界戦はとことん突き抜けても負ける可能性がある。日本中の天才が集まっても勝てないことがある。それが世界だ。

ところで、なんでこんなこと思ったんだろ…そうだまだ母にセカウマ届けてないからだ…。まずそこからだな・・

あっ、またお湯・・沸かしたまま忘れてたwwwwwwwwwwwww

ver.2015-11-16

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