SMAP騒動で「牡蠣革命で俺に足りないもの」をあらためて痛感
こんな記事をみつけた(この記事を読まないとこのあと書いてることがなんのことだかわかんないかも)▼
ホリエモンもSMAPも「殉死」はしていない。織田信長、、坂本龍馬、、時代の寵児の「殉死」がない限り、この国に限らず革命は成就されないのかも。
牡蠣業界も日本が本来持つポテンシャルの1%も出せてないのが現状。
それでも、俺はよくやってるほうだと思う。
でも、今回のSMAP騒動 であらためて、俺が革命するにあたり足りないものに痛いほど気づかされた。
それは「時代の寵児」ではないということ
俺はもう失うものはないにもない。幸運なことにこの世で味わえることは、上から下まで、右から左までたいてい味わえたし、どちらかというと一秒でも早く逝きたいとか思ったりもするときがあるレベル。
つまりいつ「殉死」してもいい、、が、いま死んでも、誰も気にも留めないという、、まぁ、それは言い過ぎで、多少、、そう多少の波紋しか生まない、、「殉死」しても意味ないってことだね、、革命になんない。
「殉死」は「暗殺」とか「処刑」が理想・・「自殺では意味がない」、、時代が時代なら「虐殺」されてもいいようなことをしたにはしたのだけどw
それがまだ残念だろうが無様だろうが生き延びている理由でもあるのだが。
SMAPは革命できたと思うが、結果として、それを選ばなかった。
それもまた正しい。
中途半端な状態とはいえ、俺はもう「選択の刻」・・「そこ」には戻れない。進むか殺されるかしか道はない。
俺は「時代の寵児」ではないという大きな課題を抱えながらも、他の方法で革命を進めている。
ver.2015-01-20
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