映画「牡蠣工場」
映画としての感想と、牡蠣の人としての感想の2つに分けて論じたい。まずは
感想|映画・・ドキュメンタリ映画として
俺が全国ネットで「牡蠣うんち」発言をするか、映像作家としての能力で「牡蠣工場」のような映画を贈りだすか、どっちがヤバい?ってくらい、なかなかパンチのある映画。
仮に想田監督の「自分の体験をできるだけありのままに視聴者に伝えたい」というセリフを借りるのなら、想田監督は、なかなかの「悪」だ。いい意味でも悪い意味でも。
放射能から雇用問題に至るまで。断っておく。想田監督はあくまで、映像作家だ。しかも、なにも足してないし、なにも引いてない。つまりはなにも誘導しようとはしていない。味わった体験をそのままありのまま、映像酔いするほど見ている側に伝えるそのチカラは賞賛に値する。
「ありのまま」そういえば某国営放送でドキュメンタリをつくっていた親父が同じようなことを云っていたのを思い出した。
世界一うまい牡蠣を創ろう!プロジェクトもゆくゆくはドキュメンタリ映画として仕上げたいと思い映像を撮りためている。
映像作家としての才・・人物のアップ・・景色∞動物∞人間の欲や業をループさせるとか、想田監督の感性が拾うそのワンシーンワンシーンが、その足してない生々しさと、引いてないハラハラ感とが入り混じって、結果、146分もの長丁場、音楽も効果音もナレーションも字幕ない映画を「みさされて」しまう。
そもそも、いま世界一うまい牡蠣を創ろう!プロジェクトの映像を撮ってくれている美人牡蠣あけ師の御縁で観に行った。3月のフランスツアーに向けいい刺激、勉強になったと思う(日米牡蠣決戦に向け、まずはフランスに視察にいきます)。監督の著書「観察する男」も行くまでに読ませたい。
そうそう、気になったのは「牡蠣工場」を撮ろうと最初から企画したのか、たまたま何かの拍子に興味を持ったのか。なぜ興味を持ったのか。ちょうどタイミングよく舞台挨拶の回に行けたので、本人にお伺いするチャンスもあったがあえて聞かなかった。
感想|牡蠣の人として
世界でも類を見ない日本特有の「剥き身市場」。その現場の記録映画として素晴らしいと思う。その剥き身市場の成熟がゆえに、「殻付き牡蠣」の生産に手間取っているのもある。
先に手間をかけるか。後に手間をかけるか。
放射能による様々な問題・・瀬戸内海を覆う種不足問題・・剥き身という製品が抱える闇・・要は殻を外し剥き身にする作業はいまのところ人しかできない・・そのコストを可能な限り削らない限り、安い韓国産や、安く売らざる負えない他産地の牡蠣が出まわる剥き身牡蠣市場の競争で勝てない。
自動的に殻を外す装置の価値をあらためて感じたが、逆に海外から「その仕事」を求めて来日し、しかもその仕事のおかげで夢をかなえられるかもしれない人々のことを考えると、「この仕事」が消えてなくなるのはどうなのだろう、とも思う。
瀬戸内海は、いま牡蠣の種が採れなくなっている問題と、何十年も抱え続けている海洋汚染の問題とのなかで、生では出荷できない加熱エリアが増え、度重なる食中毒事件で牡蠣を食用として出荷し続けられるか、という根本的な命題とも向き合っていかないといけないエリアだ。
とにかく現場のありのままを、想田監督の才を持って「観れる作品」に仕上げてしまっているがゆえに、最初にも描いたが、かなり生生しい・・よく関係者が放映を許したなっていう内容も含まれている。つまりはけして牡蠣の売り上げ増加につながるような「かきおいしい」を売りにしたグルメコンテンツではないってこと。
僕が「牡蠣の人」だから、牡蠣が殻むこの映画の宣伝をしている想田監督とたまたまツイッターで繋がらせていただいた。それがゆえか有らぬクレームを受けることとなる。
正直に書いてしまうと、某産地の牡蠣関係者から、僕が想田監督のアドバイザーとして、あえて過激な発言をカットさせなかったのでは?とクレームがきたのだ。
ここに断言して置く。それは絶対にない。放射能のことも、中国からの労働者に関する様々な発言も、もし最近のテレビならまずカットされるであろう内容を「ありのまま」映画に仕上げたのは、想田監督です。僕はまったく関係ありません。もしかしたら、編集の段階でこのカキペディアを多少でも観ていてくれたら嬉しいな、くらいです。
ただ僕がひとつだけわかることは、想田監督は僕と同じ「確信犯」だってことw
思った以上にやんちゃな映画でしたよ。
出典情報:
・映画「牡蠣工場」
ver.2016-02-27
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